第二十八回 モノから効用は生まれるか?

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今回はミクロ経済学とは少し違った視点で経済学を眺めてみましょう♪^−^

ちょっと難しいですが、できれば一人一人がしっかり考えておきたい問題です。

あと、今回のお話は私個人の解釈もかなり多く入っているのでそれを踏まえて読んでくださいな♪


さて、「モノから効用は生まれるか?」ということで

我々はモノで効用が本当に得られるかどうかを考えてみます。

・・・といっても意味がよくわかりませんね。^_^:


まず本題に入る前に確認しておきましょう。

効用というのは 幸福や満足度の尺度のことです。

例えば

A君にとって一つ目のみかんより一つ目のリンゴのほうが効用が高い

というとき

A君は何も持ってない状態で

みかんをもらうよりもリンゴをもらうほうが満足度が高い


という意味ですし、

ここにリンゴとみかんが一つずつあるとき

どちらか一つだけ食べて良いとすると

A君にとってはみかんよりリンゴを食べたほうが満足度が高い


という意味でも通じそうですね♪^ー^


となると、我々はモノをたくさん持つことで効用が上がることになります。

しかし、良く考えてみると特定のモノに対して感じる効用というものは人それぞれですね。^_^:

私は梨が好きなので梨に対して大きな効用を感じるけど、

私の母は梨が嫌いなので梨に対してほとんど効用を感じない


というようなことも考えられるでしょう。^_^:

これは、『モノから感じる効用は個人の嗜好(好き嫌い)に依存している』

ということですね。

この場合は、「モノから効用は生まれるけど、個人によって程度が違うよ」

という程度のお話なのですが、次の例はどうでしょう?


私はパソコンを戴けると大きな効用を感じるけど、

アフガニスタンのある難民はパソコンを贈られても効用を感じない


これはさっきのような『個人の嗜好』ではなく、

『その人の能力』に依存しているということですね。

かといって、モノが全くなければ効用は生まれません


ここまでの条件から考えると、

人間が良い(善い)生き方をするには

モノ(財)の量で測るのではなく

その財を用いてその人が何をできるか、その可能性はどれくらい開かれているか?

ということが基準になるべきですね。


簡単なチャートにすると

がある→その財には 特性(望ましい性質)がある

→そして個人にはその財の特性を用いてその人ができる範囲 がある。

というような感じです。

・・・難しすぎますね。^_^: まあ、わからないほうが当たり前です。

今回のお話は1998年にノーベル経済学賞を授賞した

インドの経済学者 アマルティア・セン という方の理論を

ものすごく簡略化・省略・加工して書いたものです。

ものすごく複雑で難しい理論なので、とても一言でいえないのですが、

「人間の福祉というものは、

財や貨幣の量によって評価するものではなく

財や貨幣を用いて機能する人間をとらえ

その機能を実現する能力のあり方で測るものであり

財や貨幣を用いて人間が何をできるか、

その可能性がどれくらい開かれているか、を

福祉の基礎とすべき
だ」


というのがセンの大まかな意見です。

『機能する人間』という点が重要な点です。

よく考えてみましょう。

栄養が足りずに内蔵が満足に育ってない難民の幼児に

パンという『モノ』を食べさせても

満足に消化できず栄養も取れないでしょう?

ということは、その幼児はパンというモノから効用を感じることができないのですよ。

パンの特性(性質)から「機能しない人間」ということですね。

この幼児が仮に今豪勢な食事を得ても、機能していませんね。

このような状況が高福祉とはとてもいえないでしょう。

(程度の差はありますが)いくらモノがあろうが

その人にその財を用いて何かをできる能力が無いと

とてもそれは良い(善い)生き方をしているとはいえない
ということです。


「モノから効用が生まれる」というのは

裕福な一部の人間だけがもっている考え方かもしれない

というお話でした。^_^

※今回のお話に興味を持った方は一度アマルティア・センの本を読んでみてください♪
かなり難しいですがとてもタメになる本だと思います♪^▽^


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