講義125. 取引

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はい、今回は『取引』というモノを考えていきます♪

短いのでささっと読んでしまいましょう♪^▽^


普段生活する中でも、

自分の行動の影響が自分の範囲内だけで収まることはあまりないですね。

たいてい、自分の行動は他人に大なり小なり影響を及ぼすものです。^_^

例えば、私がアルバイトをしようとしてコンビニに採用されれば、

私以外の人は(一人分)採用されなくなります


この場合、関係は競合ですね。^_^

上の例では競合しているものが『職』ですが、

『安くて良い品物』なんてのも、競合するものかもしれません。

私が『一番安くて一番良い品物』を手に入れてしまうと、

他の人はそれを得ることが絶対に不可能になりますからね。^_^:


さて、では競合することが多いからといって

他の人間から完全に独立して生活することで、その人は豊かになるのでしょうか???

そんなわけないですね。^_^:

他の人間から完全に切り離されてしまえば

「食べるものも住むところも着るものも全て自分で生産しないといけない」

という、ものすごく非効率な状態になるでしょうから。^〜^

一般の感覚からしても、自給自足よりは他人と分業していくほうが効率的でしょうね。

分業の効率性を理論的に説明したもの

『自分に比較優位がある産業に分業したほうが、

自給自足よりもお互いにとって良い状態になる』


というリカードの比較生産費説というものがありますが、

話し始めると長くなってしまうので説明は省きますね。^_^:


市場経済のように取引がその人の自由に任されている場合

取引というのは必ずお互いの生活水準を高めます(重要)

なぜかというと、

取引して得だと思えば取引すれば良いし、

取引して損を感じるなら取引しなければ良い
ということになるからです。

これだと、取引があるところでは当然お互いの幸せ度が上がっていることになりますね♪^▽^


これが取引自体強制でさせられるような場合(自由意志ではない場合)

取引で生活水準が高まるとは限りません。

「取引して損だと感じるような場合」「本来取引しないほうが得な場合」

でも強制的に取引させられるからです。T_T

となると、市場経済のほうが計画経済(社会主義や共産主義も含める)よりも

国民の厚生(幸せ度)を高められる、という主張も間違いではなさそうですね。^−^


今の二つの話は「取引」という言葉をモノの取引に限って使ったような感じですが、

別に「労働力」の取引でも話は同じです。^ー^

例えば、私がいくら月給の高いソニーに就職したいと思っても、

ソニーのほうが「こいつを雇っても、月給以上の働きはしてくれそうもないな」

という風に損と感じれば、私は雇われない、つまり取引がないことになります。

逆に、どこかの月給の安い小さな町工場が

「こいつを雇えば月給以上に働いてくれそうだ」と思っても、

私がその安月給では損だと感じれば、私はその工場では働かない、つまり取引がないことになります。

そう考えてみると、

「私が就職する(労働力の取引がある)」のは

私がその月給に魅力を感じられて、なおかつ

企業の側も私を雇うことでメリットが期待できるとき


になりますね。^_^

ほらね、やっぱり(取引が自由な場合)取引があるところでは

取引したお互いが得(幸せ)だと感じているわけですよ♪^▽^


ここまでの話だと、

自由な場合、放っておけばみんなの幸せが上がる

ということになるはずですが、

世の中そんなに上手くいってないようにも見えますし、

第一自由がホントに最高だとすれば

政府なんていらないはず
なのに、今でも政府というものは

どこの国でもあります
ね。^_^:

次回はその政府の存在理由を考えてみましょう☆^○^


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